ミュニエは、シャンボール・ミュジニーの特徴である「繊細さと華やかさ」を引き出す名手として知られており、その実力は、コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエやジョルジュ・ルーミエと肩を並べると言われるほどです。フランスで最も権威あるワインガイド誌として有名な「ル・ギィド・デ・メイユール・ヴァン・ド・フランス」2014年版でも、最高評価の3ツ星を獲得しており、今や非常に入手困難なワインとして認識されています。
1863年の設立当時、ミュニエ家はカカオリキュールやワインをベースにした“アペリティフ・ミュニエ”で財を成し、大地主であったマレ・モンジュ家から現在の本拠地となるシャトー・ド・シャンボール・ミュジニィの邸宅と土地を購入。そして、そこには約20haの素晴らしいブドウ畑がありました。しかし、1930年代の経済危機と世界大戦後の1950年、金銭的な問題によりモノポールの「クロ・ド・ラ・マレシャル」を含むブドウ畑の大部分をフェヴレ家に貸し出すことを余儀なくされました。この貸し出し期間は、1950年から2003年までの50年間で、この期間においてフェヴレ社のフラッグシップとして扱われていたほど、その畑は素晴らしいものでした。
その後1978年にシャンボール・ミュジニーの畑を買い戻し、1985年には現当主である5代目、フレデリック・ミュニエ氏がドメーヌの責任者となりました。そして2004年、クロ・ド・ラ・マレシャルの畑が返還されたことで畑の面積は一気に4haから14haに広がり、結果ドメーヌは飛躍的に成長しました。
樹齢は、ミュジニィで1947年と1962年という古樹で、ボンヌ・マールは半分が1961年で、半分が1980年と1988年の植樹。レ・ザムルーズでは1950年代と60年代、フュエで1960年の植え付けとなっており、共に50年以上の樹齢。ニュイのマレシャルも平均で40年以上の樹齢となっています。また、フレデリックはクロの最北部にあるピノ・ノワールに、その根を残したままシャルドネの穂木を刺すことで、2005年ヴィンテージよりクロ・ド・ラ・マレシャルの白を復活させています。
ワイン造りへのポリシーは自然に任せ、技術的な介入をできる限り避けることを心がけています。化学肥料は1986年から使用しておらず、除草剤も1990年から止めています。害虫対策にも化学薬品は使用せず、代わりに食虫グモを畑に放しています。また、こまめな手入れを行い、限りなくビオロジックに近いブドウ栽培を行っています。これにより、畑の生態系を守り、テロワールの魅力を最大限に引き出しています。ミュニエ氏は、日当たりやブドウの実と皮の間の味で収穫時期を決めるなど、今まさに『匠』の域に達しており、自分の個性よりもありのままの畑の特性をワインに反映させる姿勢を最も大切にしています。
醸造に関しては、基本的に100%除梗し(全房で仕込む場合もあります)、木桶とステンレスタンクを併用して発酵。どのアペラシオンでも新樽比率は比較的低い15~20%で約17ヵ月熟成を行い、果実本来の純度を失わないように細心の注意を払っています。樽熟成2年目の冬に、一度だけ澱引き清澄、濾過せずに瓶詰めされます。ここうして造られるワインは、口当たりが柔らかく、ピュアな果実味とシルキーなタンニンを備えた仕上がりになるのです。